2000

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Invitation to Freedom

4、神を知る条件

 

4-2.楽しむ姿勢

そうだからといって意固地になったり山奥に隠遁するなどして逆のとらわれを創るのは無意味だと言えます。否定すること自体が目的化してしまうこともあり得ます。

宇宙を信頼して自然の流れに身を任せるのが一番なので、あえて探し回ったりはしませんが、縁あって目の前に落ちてきた本や機会は素直に受け入れることにしています。
もちろんセミナーや各種修行法の存在を否定するものではありません。人それぞれに最も適したやり方があるのは当然ですし、真摯で愛情深いものならば、人と人との直接の触れ合い、分かち合いから得られるものは大きいでしょう。

いわゆるニューエイジ情報には不思議な宇宙の物語や超古代文明、天使や宇宙人に至るまで興味深いものがいろいろあり、真偽はともかく、硬直した価値観を崩壊させるという意味でも好きな分野です。

しかし外側からもたらされるものに関してはどれも予備的なもの、楽しむ対象であって、神を知るための必要条件にはなりません。内側から生まれてくるものだけが、具体的な血肉となります。
トイレに入ったとき香水の匂いがすれば悪い気はしないけれども、無くても用を足すのに不自由はしないと言うと、あまりよい例えには感じられないかもしれませんが、「これしかないんだ、絶対にこれだ!」と視野を狭めて傾倒するよりも、本当はそのくらいの楽な気持ちで接した方が、それぞれの貴重なエッセンスが生かされるように思います。

禅では、師がたとえば花瓶を指さして「これは何か?」と聞いたときに、「花瓶です」と答えると喝棒で叩かれたり怒られたりします。
これは花瓶のことを尋ねているのではなく、それを見ている自分とは何かという問いかけです。「花瓶」と「自分」があるという分離幻想から抜け出す道を示しています。

ニューエイジ的な不可思議情報は、派手で面白いのですが実はそれそのものが中心的な意味を持つのではなく、常識外との出会いを通じて自分を見つめる作業へと転換することが本質となります。

盲信も反発も結局「それ」にやられている状態だと言えます。楽しむという姿勢は自由であり一番強いカードとなります。

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