2000

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Invitation to Freedom

4、神を知る条件

 

4-2.前提

一ヶ月以上入院し、二度の手術のかいもあって、この肉体自分は失明をとり止めることが出来ました。目はすっかり回復しましたが、もはや外的条件に対する興味は無くなっていました。

病気も今回はうまく治ったとはいえ、治らなかった可能性もあったと言えます。同じ病棟には光を失ってしまった人たちもいます。回復への願いは同じだったのに道は分かれてしまいました。治らなかったバージョンのわたしでもあります。

この経験によって、退院以降もわたしは「目が見えていないこと」が基本となりました。再び目を必要条件とすることは、彼らが神を求めるときの可能性を否定しているようにも感じられます。それを無視してまで得られるものがあったとしても、求める神や真理であるとは思われません。同じ理由で耳や口、手足も失うことにしました。

どうして自分の目に障害が起こり、そして快気することになったのかを考え合わせると、この状態で見つかる神にのみ意味を見いだせます。もちろんこれはわたしにとっての真実というだけのことです。

今後にしても様々な可能性があって不思議ではないと言えます。一定の条件に依存することは、何かあればすぐにでも見捨てられる浮草状態であることを意味します。
現在は合格ラインにいても、条件を持ち出すような神ならば、やがて「月面宙返りをしながら般若心経を三回唱えられなければこの先には進めない」などと言い出すかも知れません。

本屋や図書館に行けば、各宗教や精神世界、ニューエイジ方面に関する古今東西のありとあらゆる書籍文献が溢れています。  しかしどんなに貴重で魅力的に映る内容であっても、わたしにとっては「あのとき失明していれば読めなかっただけのもの」に過ぎないのだと分かります。インターネットやこのサイトにしても、やはり失明していればやっていなかったでしょう。

おかげで非常にスッキリしたと言えます。たぶんこの経験がなければ、手当たり次第に資料を読みあさり、どこかに出かけていっては物や外的経験を収集したり、これでもかと様々な修行法を試していたかもしれません。  一番大切なものを見失ったまま、焦りと混乱の中で、昆虫のように花から花へと飛び回っていたでしょう。そういう経過も間違いではないのですが、ショートカットできたのはありがたいことでした。

素晴らしい師や聖人がいらっしゃったとしても、わたしは基本的に彼らを見つけ出すことや出かけていって話を聞くことも出来ません。仮に縁があって、せっかくの特別な秘技秘術やアイテムを伝授されても、寝たきりでは実践不可能だということになります。
目の前に超能力者が現れて不思議な現象を引き起こしたとしても、空をUFOが飛び回っても、わたしには「見えません」ので関係ない(無くても困らない)わけです。これが大前提となります。

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