2000

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Invitation to Freedom

4、神を知る条件

 

条 件 合 否
師、教祖、指導者
霊能者、宇宙存在
および宗教的な組織・団体
各種セミナーなど
  • 特別な縁、もしくはこれらを見つけ出すだけの一定の情報収集能力。さらにはそこにつぎ込めるだけの時間的金銭的余裕、生活環境が必要。
     
  • 目が見えなければ、情報収集においてかなり不利。ほとんどの書物は読めない。書物代や参加費、交通費等が支払えないほど貧しくても同様。
  • 口が利けなければ、特別な呪文や念仏、マントラも唱えられない。手足が動かなければ、座禅体勢での瞑想さえも不可能、正しいとされる各種修行法も制限される。アイテムも使いこなせない。耳が不自由ならば講話を聞くことも難しい。寝たきりではどこにも行けない。
特別な呪文、秘法、修行法
教典、仏典、参考書
不思議アイテム
霊能力、超能力、特殊能力
  • 先天的なものは無ければそれまで。
    後から開発するならば、やはりそのノウハウを得るために、上記と同じような条件が必要。
教育環境・地理的条件
  • 難解な論理、哲学を理解できるための教育を受けられる環境。それの整備された国、地域および受け取れるだけの時間的金銭的余裕。
  • 大都会よりは大自然のあるところ。歓楽地よりは聖地。サラリーマンの子よりは、寺や教会等の家系、もしくはインドやチベットのように宗教の盛んな国、社会環境に生まれ育つ。
     
  • 文盲では教典も読めない。
    言葉の分からない国にどんなに貴重な資料や究極の真理があろうとも、翻訳されなければそれまで。
難行苦行
  • 修行を貫徹するだけの健康的な肉体、運動神経。それが許される環境。
     
  • やはり五官や手足が不自由であったり、寝たきりでは不可能。

 逆の見方をすると、神なるものが存在するのならば一切の条件差別がないところに基準値を設定しているはずだと推定できます。

つまり「教育環境が行き届かない国のスモッグで汚れた大都会において、五官が不自由であり手足が動かず、しかも寝たきり状態の人」であっても、充分に神は見つかるようになっています。

人間の内側には肉体や環境がどんな状態であっても、それとは関係なく常に存在するものがあり、それを使うことこそが最も重要であるからです。

条件のどれもが本質的には必要のないものだと言えます。考え得る限りの厳しい状況があるならば、そこが基準値となります。その程度の配慮さえも行き届かせられないようでは神とは言えません。
また条件次第で見つかったり見つけられなかったり、手に入ったり無くなったりするようなものも真理とは呼べないはずです。

基準値はよいとして、そこにさらに優位な条件を加えれば、学びが一層効率的に進むのではないかと考えたくもなります。
しかし外側のものは、ある種の嗜好品(栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物)として楽しむスタンスならばリフレッシュ材料としての有用な場面も想定できますが、競争・差別意識を伴った執着や囚われ、依存対象(それにやってもらおう)になると、かえって余計な重りとして足かせになってしまうでしょう。慎重な扱いを要します。

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