1999

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Invitation to Freedom

1,旅の始まり

 

1-2.波

「人間」という体験をするときに、そこから見える宇宙は「現れては消える」という波の仕様を創造しています。万物は変転し定まることがありません。「息は吸うけど吐くのはいやだ」と言うのが無理なように、このリズムを避けて通ることは不可能だと言えます。

原因結果の法則として「世界」に現象化される波は、どんなに微小な部分をとっても全体に相似しているフラクタル図形のように、無限の階層が複雑に積み重なって構成されています。 宇宙というコンピューター(神の采配)によって計算されるその周期は、個々の事象ごとに短期決算されるのではなく、大いなる一としての総合的な視野で最善(エゴの望む最善とは必ずしも一致しない)になるように取り計らわれます。

具体的には与えたものが返ってくるというドラマが創造されますが、これは今日誰かを助けたから明日誰かに助けられるとか、今日誰かのもの(物質だけではない)を盗ったから明日自分が盗られるというように単純化されるとは限らないために、一部分だけを取り上げると不平等のように感じる(それも意図されているとも言えますが)場合もあります。
それでも起こる構図は、前後左右に効果的に配分されながら、最終的には+10に対して−10(+−は良い悪いという意味ではない)と、ゼロで帳尻が合うように綿密に計算されます。

いわゆるエゴによる近視眼的な「良い悪い」という価値判断を前提とするならば、良いことが生まれれば悪いことが生まれ、やがてまた良いことが生まれていきます。どちらか一方で止まることはありません。
新聞や雑誌などのメディアから日々発信される古今東西のニュースは、一面的な解説しかされてないとしても、結局はそのことを説明する内容で埋め尽くされていることがわかります。 誰かを傷つければ自分も傷つき、バブルは崩壊し、愛する人も憎む人も生まれて死んで、また生まれて、戦争と平和、文明の興隆衰退が繰り返されます。

物質や権力などの虚栄に執着し、恐怖とバリケードの中で自他の争いを創造して頑張ったところで、それをどこまでも持ち続けることは不可能です。
「自分」を維持するため、証明するために「これだけは欠かせない、失うわけにはいかない」と思うものであっても、まるで気まぐれのように消えていきます。
仮に現在の肉体レベルで最大限までしがみつけたとしても寿命の範囲内であるし、そのために清算されなかった原因があれば、「次」に結果として持ち越されてしまうでしょう。

もちろん悩み苦しみにしても同じように保証されず、これもエゴで価値判断するところの「どん底」の状態に陥って、自暴自棄になったり嘆き僻んだり、弱く小さい犠牲者のフリをしてみても、これも永遠に続けることは不可能です。

いつまでも昼であってくれ、いつまでも夜であってくれと望んでも、太陽は聞いてはくれません。良い方の極で有頂天になっても、悪い方の極で絶望しても、そんな人間の都合はお構いなしに、波は二極構造の上で単純な波形を描きながら、振り子のように両極を行ったり来たりしています。  

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