1998

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◆可能性のモデル

あれ以上やこれ以下という価値判断を越えた幸せならば、どこかから奪い取る焦りや欲望も、誰かから奪い取られる恐怖もないはずです。
すでにあるものを自然に分かち合いたくなるし、外的条件のバブルに左右されてその泉が枯れてしまうこともないでしょう。気負いも強制も計算も手順もいらなくて、ただありのままに愛します。

「花が開くと呼ばなくても蝶や蜜蜂が集まってくる」という言葉を残した聖人がいました。
確かに枯れた花では、もしこちらから蜂の巣の下まで歩いていったとしても相手にされないか邪魔になるだけです。

あえて「誰かを幸せにする道」という表現を使うならば、それはその人がすでに幸せであることを見つける手伝いをすることであると言えます。あらゆる瞬間に完璧に用意されている神の贈り物を分かち合っていくこと。
  それは直接言葉で指摘するのもよいけれど、自分が幸福のモデルとなり、その人の鏡としてただそこにあるだけで、何よりも雄弁に語ることが出来るのではないかと思われます。

自分自身の本当の幸せを確立し、その可能性のモデルとしてただあること。 これに勝る「世界」に対する贈り物はありません。

 

◆天国を見つける[アセンション]

信念が新しく入れ替わり、否定的なものの存在が自分にとっては必要が無くなると、「世界」の現実からそれらは次第に消えて行きます。しかし正確には消えたわけでも形を変えたわけでもありません。最初に書きましたように「世界」にはずっと同じものだけがあります。

見る人が変わったのでした。わたしの方が変わりました。

天国は空の上にはなく、地獄は地の底にはありません。
それらを唯一存在する「今」の中に創造するのは、自分自身であります。

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