1997

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[2.2/ヴォイド2]

またまたヴォイドに入ってました。それでも最近のヴォイドは、以前のように抵抗しなくなったので、落ち込むとか焦るとか混乱して叫びたくなるようなことはなくて、ただ何もできない感じになります。
コンセントを抜いて、食べて寝てまた食べての繰り返し。「無意味だけど、まー意味があるんだろう」と気楽に開き直っています。無理をすれば、二度手間三度手間な出来事を創造してまうでしょう。
わんこそばを食べ過ぎて喉元まで来ている時には、もう次のわんこそばのことは考えられなくなるので、ただひたすら消化待ちですね。

そんなこんなしているうちに、今日になってやっと心身が晴れ晴れしてきました。急にすっきり夜が明けた感じです。ははー。

 

 

[2.9/心の名前]

普通は、自分の心の中から感情想念が生まれてくると思っています。しかし生まれてくるというのは幻想です。また脳というラジオは、宇宙のエネルギーを受信はしても、宇宙の創造は出来ません。

たとえばネガティブと呼ばれる感情想念があります。ところで誰がそう呼んでいるのか。 嫉妬恨み憎しみ嘲り情欲罪悪感無価値感・・・、誰がその名前をつけて誰が悩んでいるのでしょうか?
自分が勝手に名前をつけたものを、改善しようとすることは何とも矛盾したことです。嫌ならば名前を付けるのをやめればいいわけです。
改善しても改善しても、それを認めて改善完了してしまうことは、エゴにとっては自殺を意味するので、永遠にOKはやってきません。

思考のレベルでのゲーム。
努力したおかげで、今日は良くなったような気がして喜び、明日は悪くなったような気がして落ち込み、また明後日はまた良くなったような気がして喜びます。
そしてこの繰り返しの先に「いつか」はゴールが来るような気がします。努力賞か卒業証書がもらえると信じています。誰から?
思考に愛を操作する力がないのは、愛を思考することは出来ないからです。ですから愛を集めようとしても、愛からはどんどん遠ざかっていきます。

何かのコレクターは、その物を全部を集めようと思ってやっていますが、同時に全部を集めたくはないというジレンマがあります。趣味が終わってしまうからです。
人は悩みから逃れる方法をあれこれ考えます。しかし「思考さん」も本当は悩みを捨てたくはありません。悩みが無くなると「思考さん」の活躍の場がなくなってしまいます。パラドックスです。
人類はリンゴを食べたときから、「名前がないものに名前をつけるゲーム」を始めました。

以前、覚醒者と呼ばれる人たちが心を無くしてしまうという話を聞いて、どうしても抵抗感を拭い去れなかったことがあります。
「心を無くすだって!それじゃ人間ではなくなってしまうじゃないか。愛情も喜びも悲しみもわからなくなる。わたしはそれだけは御免だ」
しかし、それは全くの誤解だったということに気づきました。実は心を無くすのではなくて、心の中には最初から何も無かったのでした。からっぽです。しかし愛に満ち溢れています。

わたしは禅のことはぜんぜん知らないのですが、最近図書館で禅問答の本を目にする機会がありました。その中で印象に残ったものを最後に一つ。

達磨和尚と弟子との会話。

    弟子「わたしはまだ心が不安です。どうかわたしを安心させてください」

    達磨「安心させてやるから、その”不安”を持ってこい」

    弟子「心を探しましたが、とうとう見つかりませんでした」

    達磨「うむ、安心させてやったぞ」

 

 

[2.21/フリ]

10人の人間がいれば10通りのものの見方考え方がある
それを変えようとして、喉から血が出るほど説得して
たとえそれに成功したとしても
やがてまた違った考えの11人目が現れる

振りかざした「正義」の剣は
無数の立派なガラスの宝石で彩られているが
エゴで妖しく光り、それを持つ者の体を傷つける

これまでの人生を使って
いったい何人の「間違った」人を見つけて非難してきただろう
数千人か数万人か、あるいはそれ以上か

それで何を得られただろう
自分の正しさを証明できて、心に平安が訪れただろうか
しかしこの実験は、無惨にも逆の結果をもたらした

他人を非難する思いは
自分の頭の中だけで鳴り響く
実はリスナーは自分だけである
自分に対してその罵声を浴びせかけているに過ぎない
ゆえにますます自分が嫌いになり
それを投影する他人が嫌いになるという悪循環に陥る

 

自分を見ないために他人の「間違い」を利用する
また多くの道具に頼れば、なんとか夜寝る時間までは連れていってくれる
そうやって頑張ってここまではごまかし通した

エゴは肥え太り、柳の木は幽霊になり
怖れと疑いに心は締め付けられた

残りの人生を費やして、「間違った」人のリストを
さらに何倍に増やす実験を続けても、結果は見えている
わかっていることをわざわざやるのは意味がない

エゴは際限なく肥え太り、幽霊は魔王になり
怖れは悲鳴を上げ、心は萎縮するだろう
猜疑心で自他分離の壁は厚くなり
フリをし続け、戦いながらの人生を終わる

内側にあるオアシスから目を逸らすためにあらゆる努力をし
水を求めて外側をさまよう
これまで何度もやってきたパターンだ
今度こそはと思って生まれてきて、こりずにまたやっている

 

生きているときは生きていることを後悔し
死んでいるときには死んでいることを後悔する
これが輪廻を創り出す

嬉しいフリ・・
悲しいフリ・・
幸せなフリ、不幸せなフリ
他人という幻想を相手にビクビクしながら
演じて見せるためだけの人生
気を許せる時間がないままに
泣きながら終点まで突っ走る

普通だったのは赤ん坊の時だけ

そんな自分を正そうとしても
「正された自分」が出来上がる
これもフリ
悪びれたり開き直ったりするのもフリ
この両極パターンを繰り返しては
常にもう片方を裁いていた

あるときは「神」を崇め奉る人生
あるときは「神」を侮蔑する人生
どちらもうまく行かない

何かになろうとするのは全て失敗する

 


宇宙から万遍なく降り注がれている無条件の愛があって
それをただ受け入れて
それをただ次に流す

人はそれをマスターするために生きている

縁あって目の前にあること
「今」の中で出来ることを淡々と続ける
他には何もしなくていい
大げさなことも立派なことも要らない
するときにはすでにしている

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