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2004.11

自力と他力

B2

2-3 ゲーム

ドラゴン退治を題材にしたビデオゲーム(RPG:ロールプレイングゲーム)の話です。
古典的な展開では、主人公である勇者はある国の王様に依頼されて魔物に囚われた姫の救出に向かいます。 旅の途中ではさまざまな敵と遭遇して戦いを重ね、試練を乗り越えながら成長していきます。そして最後には宿敵のドラゴンを打ち倒して王国に平和が戻るというようなストーリーです。
プレイヤーは勇者キャラクターを操作しながら物語を進めていきます。

ゲームをする目的ですが、本当の意味ではドラゴンを倒すこと自体や姫を救出するためにやっているのではないでしょう。どちらも架空の存在ですから当然です。
ドラゴンが倒された際の画像やハッピーエンドになる展開は、買ってきた商品パッケージをゲーム機にセットする前の段階で、すでにディスクの中にプログラムとして存在しています。つまりゲームを始める前にすでに姫は救出されているわけです。主人公の最終的な成長も約束されています。

エンディングに至るまでには途中何度もゲームオーバーをしながら辿り着くでしょうが、プレイヤーの努力によって本来無かった結果が創造されるわけではありません。マルチエンディングが設定されている場合には同じゲームを何度か繰り返して遊ぶことはできますが、結末の全ては組まれたプログラムの範囲内で起こっているものです。
新しい未来を創造しているのではなく、すでに完了した未来から過去に遡って物語を追想しているのに近いイメージです。

また旅の途中で誰と何を話し、どんな謎を解いて敵をどれだけ倒したかも本質的な意味を持たないでしょう。集めた武器や金貨がどれだけあってもゲーム機のスイッチを切ればそれらは全て消滅します。
唯一残るものは勇者の役割を演じながらラストに至るまでの過程を楽しんだという事実のみです。

ゲームディスク

ゲームのプログラムは光ディスクに書き込まれています。
ポリカーボネイト
に微細な溝や色素、反射層などを貼り合わせた円盤状の物体は今この瞬間に存在しています。これをただ眺めていても何も起こらず無の状態です。

しかしこの静止した物体の中には長時間にわたるドラマがたたみ込まれていて、レーザー光線を照射することによって別次元の「世界」が創造され(読み出され)ます。
ゲーム内の時間軸ではキャラクターの進行状況に応じてさまざまな出来事が現れていきますが、ディスクの時間軸から見ると、旅の始まりと旅の終わりがそこ(盤面)に同時に存在していることがわかります。
たとえプログラムに数百万年の壮大な冒険ドラマが書き込まれていようとも、ゲーム内でキャラクターが何を行い何が創造されようともディスク自体に変化は起こりません。もちろんプレイヤーの「わたし」にも影響はありません。

ビデオゲームのハードもソフトも年々進化しています。最初は真上から見下ろすだけの単純な2D(平面)グラフィックだったシステムも複雑な3D(立体)グラフィックに進化し、表現のリアルさは増していく一方です。
SFにあるようなモニター付きのヘルメットを被って現実と寸分違わない360度の立体映像やコミュニケーションを体感するのもそう遠い話ではないでしょう。やがて匂いや温感など他の器官に関するフィードバックも再現されるようになるとコントローラーと一体化しますので、キャラクターを操作するというよりもキャラクターそのものになっていきます。

このような擬似現実ゲームをやり終えてヘルメットなどの体感装置を脱ぎ、普段の“現実”に戻ったときに「果たしてこれは最終現実なのだろうか」という問いが生じるかもしれません。

そして誰にその問いが生まれているのか。 わたしに生まれている。
その「わたし」とは誰なのかに続きます。

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