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:Star People
学び
心の掃除
- 自分はある程度のレベルに達したという思い上がりが定期的に訪れる。
- その度に心の掃除を欠かしてはならない。
- 学びの上下にとらわれているうちは差別意識の中で生きている。
学びは段階を経て進んで行くが、上下というものは存在しない。
それぞれにそれぞれの学びがある。
- 傲慢な思い、過剰に詰め込んだ知識による偏見、差別の思いなど、
学びの途中でついた心の煤を定期的に掃除しよう。
- そして真っ白になってまた学びを継続する。
反省の在り方
- 暗い顔をしているときは、一見反省をしているように見えますが、
実体は欲望の魔に翻弄されている姿です。
リラックスしてとらわれが無くなれば、
顔は自然に暖かさと柔らかさを持ちます。
その暖かさが周囲に波及して良き影響となります。
- 反省するとつい自分を責めて心を暗くしてしまいがちですが、
心を暗くしたのなら、その反省は反省になってはいません。
さらに反省することを増やしただけになります。
- 反省は心を明るくするための材料であって、暗くするためのものではないのです。
- 間違いを学んだのなら感謝することです。
そしてこれからの生き方に活かします。
暗くなっても過去の間違いは修正できません。
それよりも明るい未来を建設することの方が大切です。
暗くなるのは自虐による自己満足で、
現実逃避をはかろうとするマイナスの思いによるものです。
- もし申し訳なく思う人がいるのなら、
その人のために奉仕するとか、
直接会えないときには神を通して幸せを祈ることです。
また本人でなくても、
思いを他に対しての奉仕やプラスの活動として転換させれば、
その人は報われるでしょう。
- 反省の材料として関わってくれた方々や事象には感謝しかありません。
転ぶ自由
- 子どもに自転車の乗り方を教えるとき、
その子どもに転ぶ自由を与えなかったら、
いつまで経っても乗れるようにはならないだろう。
光輝く
- どんな宗教に入っているか、どんな祈りをしているか、
どんな真理を知っているかではなく、
どれだけ光輝きながら生きているかである。
- 愛と奉仕はすなわち信仰であり、自らが宗教となり神となる。
問題
- 何らかの問題が起こったとき、罪悪感を持ってはいけない。
罪悪感を持つことでは、せっかくの問題は生かされない。
- 生かすためにはその問題の意味をよく考え、自分自身の学びに変える。
そしてありがたい学びを与えるために関わって下さった人々や
全てのものに感謝するのである。
- 全ての全ては愛である。
否定的幻想
- 「わたしは何がいけないのだろう」という発想から、正しい答えは得られない。
- 何かがいけないという前提においては、いけないことが答えになるので、
否定的な幻想の中に身をおくことになる。
- 否定的な答えを得ようとする問いかけから、前向きな結論は出ない。
何かがいけないということはない。ありのままでよいのである。
間違える
- 自分が間違えるという事をありのままに受け入れる。
勇気を持って間違え、それを糧として自らを成長させる。
- 神は間違いを責めたりしない。
神は学ぶ勇気を求めている。
間違う勇気を求めている。
- 間違えるという事は、神への背信ではない。
間違えるという事は、神への奉仕である。
間違え学ぶ勇気を神は望んでいる。
- 心配はいらない。堂々と間違えなさい。
傷つく
- 傷つくというのは、実際に傷つくのではない。
魂に傷を付けることは出来ない。
- 傷つくというのは、進化させる部分を明確にするためにマーキングすることである。
- ありがたい。
畏敬
- イエスはすべての人に畏敬の念を持ちました。売春婦にも畏敬の念を持ちました。イエスは彼女の罪を許したのではなく、ただ彼女の学びに対する慈悲と尊敬があっただけです。善悪の判断はありませんでした。神としての彼女を、学びの勇気を尊敬していました。
教師と生徒
- 外側の何かを変えたい衝動に駆られたら、
それは自分のどこを変えることなのかを自問する。
- あなたの外側にいるのは、60億人の教師である。
生徒はあなたただ1人である。
癒す
癒す
- 他人を見ることによって自分自身を見ることになる。
- 人を癒すことによって自分自身を癒すことにもなる。
- どちらが偉いとかは無く、受ける授けるとかはなく、ただただ神に感謝しかない。
病
- 病気や体の不調というのは、
わたしには自我やエゴによって見ることをためらっている真実があるという
内からの警告である。
- 自らの思いや行いを見つめ直すときである。
- 病気は反作用である。だからその元となった作用を見つける。
答えは直感が教えてくれる。それに素直になる。
きっかけ
- イエスが伝えようとしたものは「考えるきっかけ」である。
気づく手伝い
- 癒しというのは、あなたが行うものではなく、
人それぞれが自分で行うものである。
彼らが自分で自分を愛し、自分自身を癒すのである。
あなたが他人を癒そうとすれば重荷を背負うことになる。
背負うことはお互いの高い善にはならない。
- あなたがすることは人が自分で自分を愛するための「きっかけ」を与えることである。
他人の幸福に責任を感じる必要はない。
彼らの人生に対する責任を手放そう。
- あなたが出来る最も重要なことの一つは、人が「気づく」ことを手伝うことです。
- その人が神であることを。
方法
- 人を救う方法、助ける方法、癒す方法をあなたが知らないということはない。
- あなたはこれまで自分を救い癒し助けてきた。
その方法が他人にも同じように当てはまるのである。
なぜならあなたと他人は同一である。
段階が違っていても全く同一であるのだ。
同じ種類ということではなくて、「大いなる一」なのである。
一つの存在である。
気づき
- 気づきのきっかけとは、「怖れなくてよい」ということである。
- あなたは自ら愛を使って見せて、愛を使うことの安全性を回りに示しなさい。
二千年前にイエスがやったことはそういうことである。
- あなたの高い目的は人々の愛の力を解放し、地上に光をもたらすことである。
立体映像
- 地球の調和を望むのなら、人類の調和を望むのなら、
調和させるところはあなた自身である。
自分を地球だと思って人類全体だと思って調和させる。
- 外側に見えるものは幻想である。
地球は外側にはない。
地球はあなたの内にある。
あなたの内にある地球が癒されれば、
目に見える地球も癒される。
- 外側に見える悲しんでいる人、苦しんでいる人、
悩んでいる人、環境を破壊している人はあなた自身である。
- あなた自身の姿が象徴的な立体映像として外側に投影されている。
- 立体映像は触ることも動かすこともできない。
手を出しても空を掴むことになる。幻想に働きかけず、
自分の内側に働きかけるのである。
- 外側に見えるものはすべてあなたの内側にあるものである。
それ以外は一切ない。
- あなた自身に不調和があれば外側に不調和が見える。
あなた自身に調和しかなければ外側にも調和しかない。
あなたの内側と外側は完全にイコールである。
その他
良い日悪い日
- 占いとかバイオリズムとか、霊能者のお告げとか、
それらによって良い日悪い日を創り、それらにとらわれてはならない。
- 神のもとで愛の生活を送るとき、悪い日などは存在しない。
悪い日は自我の心によって形成される。
- 一日一日を一瞬一瞬を大切にして毎日を良い日にする。
- 悪い日と思うマイナスのイメージは、
その日を悪い方向に導き「やっぱり悪い日だったんだ」・・・と思うことになる。
- 想念はあらゆるものを創り出し、あらゆる環境を創る。
- 人生の中に悪い日を一定量組み込まなければならないなどという宇宙の法則は存在しない。
真実は全てが良い日である。
全ての日がかけがえがなく貴重で、愛に満ちあふれた日である。
悪い日とは人間の創造の産物であって、実際には存在しないのである。
- しかし良い日ということにもとらわれずに、
毎日を感謝し、素直になって淡々と愛を実践して、神に祝福された日々を送る。
石について
- 石に頼ってはならない。
あなたに石は必要ない。
石のパワーに翻弄された結果がアトランティスである。
- 人間は本来石に頼らなくても霊性を開発できる。
石はその補助として与えられたものだが、多くの人は石に翻弄されてしまった。
石のもたらす偉大なパワーに自らの欲望を課し、
その欲望によって自滅していった。
- 何者に頼らなくても、神と心をつなげ、偉大なパワーを得ることは出来る。
石は手軽にそのパワーに近づくことは出来るが、
それに頼ってしまうと自分の可能性を閉ざしてしまう。
また、欲望によって魔のパワーと結びついてしまう危険性もある。
- 7つのチャクラを開くためには石を使う必要はない。
人間本来の能力だけで十分である。
- 石に頼っている間は壁を越えられない。
神と電話回線を通じてしか話が出来ないようなものだ。
- 心を澄ましたとき神の声は直接聞こえる。
- 石は自分のために使うのではなく、人のために使う。
この基本を守れば石も生かされる。
人の波動を調和させたり、場の波動を調和させたりするのに使うことは出来る。
回りの調和のために使うとき、石は生きる。
自分の欲望や安易な手抜きのために石を使ってはならない。
- 具体的にどのように使うのかは、必要なときに示唆が与えられるだろう。
瞑想
- 瞑想は焦ってはならない。結果を求めてはならない。
- 欲望を持ってはならない。期待を持ってはならない。
- 心身のリラックスと調和、チャクラの解放、すべて自然の成り行きに任せる。
- 超能力願望や特別意識を持つと魔の道に引きずり込まれる。
- 一切のとらわれを捨て、日常の自然の行為の一部として取り入れる。
情報
- 世の中にはありとあらゆる情報がある。
それらを全て手に入れようとしたら何回生まれ変わっても間に合わない。
情報欲に翻弄されると、ここまでという際限はなく、
情報に押しつぶされ、大切な生を無駄に費やすことになる。
どんなにため込んだ情報も、死とともにリセットされるのである。
- あなたにとって必要な情報は必要なときに必要なだけ与えられる。
自我で混乱の中に身を投じてはならない。
必要な情報を見分けるには素直であることだ。
自然の中に身を委ねればよい。
- 情報にとらわれると情報のための情報となり、
情報は生かされることなく終わってしまう。
- 情報は生かしてこそ価値があり、
生かされない情報は重荷となって行動の足を引っ張るだけとなる。
- 知らないことはあっても心配する必要はない。
生かすべき情報は過不足無く与えられている。
- ただただ信じて素直なままに行動する。
子どもたち
- たとえどんなに辛く苦しい時代が訪れたとしても、そこに産まれてくる子供は、その時代を望んで生まれてきます。その時代が自分たちにとって最も学びの修行の場になるからです。だからあなたは何も心配する必要はありません。子どもたちは修行の場に生まれてくることを感謝こそすれ恨むようなことは決してありません。そこに自分の生の在り方を見つけるでしょう。
- あなたもこの時代を望んで生まれてきています。混乱に向かう時代の中でどれだけ真価を発揮できるかが、この世に生まれてくるに際してあなたが望んだことです。
- 混乱の時代の中で希望の光を灯して下さい。子どもたちはあなたにとっての最大の協力者になるべくして待機しています。あなたが呼ぶのを待っています。
秘密
- この世には本質的な善悪はないので、
いわゆる死後の地獄は存在しない。
悪役は存在しても、悪人は存在しない。
だから死んだ後に行く場所に差別はない。
- この世次元の悪というのは、学びの段階の悪であって、本質的な悪ではない。
また悪役のおかげで善を学ぶことが出来る。
善を学ばせた功労者を地獄に落とすことはない。
- しかしこのことは一般には秘密である。
心配
- 他人に対する心配は、自分の内側の心配を反映している。
罪悪感
- 罪悪感からは愛は生まれない。
- 神に対して罪悪感を持つことによって信仰は生まれない。
人に対して罪悪感を持ったり待たせても愛は生まれない。
- 罪悪感は人を萎縮させ、選択と可能性を奪ってしまう。
その人が自分の偉大さから目を背けてしまう。
- 自分に対しても他人に対しても、ありのままであることを許し、愛する。
二極化
- 人がマイナスをプラスに転換する術を知ったとき、地球の二極化の時代は終わる。
真実の惑星
- この惑星は、自由な真実の惑星。人の数だけ真実がある。
- どこかに究極の真実があって、それ以外が間違いということはない。
ここは「自分の」真実を学ぶ惑星。
- 基本のシステムは、自分の思いが現実を創る。
- 自分の真実によって、自分の現実を創り、そこから学ぶ。
光の貯金
- 過去に多くの聖者と呼ばれる人たちが光の貯金を残してきた。
貴重な貴重な財産である。
- この転換の時代に、あなたはこの貯金をどのように使うだろう。
喜びをもった成長に使うのか、それとも痛みや地殻変動などの破壊に使うのか。
- この時代に生を持つ人の責任は重大である。
釈迦の手
- アホになると言うのは、すべてを受け入れるということだ。戦わなくて良いと知る。
- 判断は次の判断を生み出し、無限地獄に堕ちていく。
- このままでよしと知る。
- 無駄な抵抗をやめたときにアホになれる。
- お釈迦様の手の中を知ることである。
- それを知った上でならば、理論理屈と遊ぶのもよし、
お金と遊ぶのもよし、ものと遊ぶのもよし。
- とらわれなきバランスのとれた生き方が出来るだろう。
地球
- 地球は決して遅れた星でも、下等な星でもない。
星に上下はなく、良い悪いも無い。
学び方の違いがあるだけである。
- きれいな花壇に咲いた花も美しいが、
泥沼の中でたくましく咲く蓮の花にははっとする美しさがある。
地球人はそれを見るためにこの惑星にやってきている。
- この惑星に生きていることを卑下する必要も後ろめたく思う必要もない。
地球人として胸を張る。地球のありのままを愛する。
- 地球に心から感謝をする。
- そして地球は新しい惑星へと生まれ変わる。